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【No.784号】 【発行日】2019/2/5 [8-2]
 つれ連れ草 -637-  光が丘第二中学校校長 中山 徹
●礎になったこと ?養護学校での生徒たちとの出会い?

【 記事 】

 この『つれ連れ草』には二度目の登場です。
 今年度、東京都の教員として三十七年目を迎えました。練馬区では小学校での校長経験も含めて七校目です。「よくここまで続けてこられたな」と思います。
 私の教員としての現在(いま)があるのは、何と言っても、これまで出会ってきた児童生徒たちのおかげです。特に、新採時、J養護学校(現在は特別支援学校)での児童生徒たちとの出会いは、私の教員としての「礎」となりました。三名の教え子のことを綴ります。
A君は体幹機能障害があり、また言葉での会話はできない生徒でした。知的障害もあり、また人見知りも激しいのですが、なぜか私のことはとても「気に入って」くれまして、毎朝登校時、強い力で私を抱きしめ「熱烈歓迎」を何度もしてくれました。最初は戸惑ってばかりでしたが、彼との関わりの中で、「私が励まされている…」、そんな思いをもつようになりました。「息子は障害があるけど、人を見る目は鋭いんです。先生のことが大好きなようですよ。息子の表情や態度を見ればわかります。頑張って下さい!」と、その生徒のお母さんからも励まされ、私は新米教員としての日々を送りました。
 B君はダウン症で心臓に障害があり、歩行もやや不自由な生徒でした。とても明るい性格で、特に歌うことが(お世辞にも上手とは言えないのですが…)大好きでした。彼は、自分が感じたことなどを、素直に(というか遠慮せずに)口にしました。「先生のダジャレはつまらないけど、今日の授業は面白かったよ。」というようなストレートな表現です。我が家の長女が生まれた時、その話を教室ですると、こちらが想像している以上に喜んでくれる、優しい感性をもった生徒でもありました。
 C君は脳性マヒのため歩行が不安定で、また言語障害がある生徒でした。私が言うことは十分理解してくれるのですが、彼は自分の言いたいことを口から発する言葉としてなかなか表現できません。意志疎通は「文字板」を活用しての会話でした。うまく伝わらないときは、何度も何度も繰り返し文字板を指さしました。そして自分の言いたいことが伝わると、顔をクシャとさせて表情を緩め大声をあげ喜びました。とても頑張り屋さんでした。
 保護者の方々は、お子さんのことを愛し、可愛がり、そして「卒業後の進路のこと」「親亡き後のこと」をいつも心配していました。そういったお父さん、お母さんたちからも、言葉だけでなく、その生き様からたくさんのことを学ばせていただいたように思います。
 気がつくと私の教員人生も終盤を迎えています。あらためてこれまでの教え子との出会いに感謝しつつ「礎」を心の中で常に温めながら一日一日を大切に過ごしていきたい、古いアルバムの写真を見ながらそんなことを考えています。

 昭和34年 東京都生まれ 東京都北区在住


光が丘新聞         2019/2/5

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