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【No.782号】 【発行日】2018/12/5 [8-2]
 つれ連れ草 -635-  赤塚新町小学校校長 笹河 悦郎
●縁(えにし) 深き地 練馬

【 記事 】

 この光が丘新聞がもとで、私がお隣の板橋区の公立小学校の校長になったという情報が悪友たち(?)に拡散されました。拡散した張本人は、この新聞の配達される地域に住むA君です。その後、情報を得た友人たちからお祝いメッセージが続々と届きました。嬉しいやら何だか恥ずかしいやら…。
 私は小学校2年生の時に、練馬区に引っ越してきました。小・中・高校と練馬区で過ごしました。A君は高校時代の友人です。実は、光丘高校の1期生なのです。入学したのは、今から40数年前のことですが、当時は校舎を建設中で、1年生の頃は世田谷区のとある高校の校舎を借りて学校生活を送っていました。2年生になる直前にグラントハイツ跡地に校舎が完成したのです。先輩のいない高校生活は伸び伸びとしていたのを覚えています。学校の周りには、今のように団地も公園も大江戸線もなく、だだっ広い荒野があるだけでした。そこにポツンと校舎があり、小さな文房具屋と小さなラーメン屋さんがありました。
 当時、東村山市に住んでいた私は、西武線を使って石神井公園駅まで行き、バスに乗って通学していました。高校卒業後は、いったん練馬区を離れて学生生活を送った後に、国分寺市の教員になりました。次の異動先は大泉学園にある小学校でした。懐かしい練馬区にまた戻ってきたのです。その後、国立市公立小学校→ミャンマーにあるヤンゴン日本人学校→再度国立市公立小学校を経て、現在の板橋区立赤塚新町小学校に校長として赴任しました。
 周りの環境を見ると、何と、光が丘公園の近くではありませんか!友達や後輩と野球をした付近、よく遊びに行った春日町、平和台、田柄、早宮…、そして何より、母校の近くで大変に驚き、嬉しく思いました。40数年前とは大分変わった風景となりましたが、高校の校舎外観はそのままです。A君を含め、当時の仲間とは毎年クラス会をしています。皆に会えば、話題の多くは高校生の頃のことになります。皆、いいおじさん、おばさんになっていますが、話をしていると、心はあの楽しかった「青春時代」に戻ってしまいます。
 縁深き練馬区のお隣、板橋区の北西にあたる場所にあるのが赤塚新町小です。本校に通う子供たちも、大人になった時に母校や地域を懐かしく思い出し、旧友と楽しく交流できる関係にあるといいなと思うこの頃です。

 昭和35年東京都生まれ 東村山市在住


光が丘新聞         2018/12/5

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