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【No.779号】 【発行日】2018/9/5 [8-2]
 つれ連れ草 -632- 練馬東中学校副校長 磯村 達夫
●記憶の源 練馬

【 記事 】

 近年、脳科学が発達し「記憶」のメカニズムが、いろいろと解明されてきています。私も社会科の教員として、記憶力には自信をもって教壇に立ってきましたが、年齢を重ねるに従い記憶力も低下し、人名や物の名前がなかなか浮かばず、苦々しい思いをすることも多くなってきました。
 そもそも、人間の記憶はいくつ位の年齢から残っているものなのでしょうか。現在では幼児期の記憶に関して、産まれた時から人間には記憶する力が備わっていて、幼児の頃の脳内は未発達で、年齢的にも言語等による記憶ができないため、限界量に到達する前に古い記憶に上書きをして、新しい記憶を残すという「幼児期健忘」が、平均で三?四歳から始まるため、個人差はあってもこの頃の年齢の記憶が一番古い記憶となることが多いと言われています。
 私も練馬区谷原に住んでいた三?四歳の頃の記憶が、一番古い記憶として断片的に残っています。当時、ワンパク坊主だった私は、毎日のように母親から、「お地蔵さんより先に行くと、自動車に轢かれるから絶対に行ったら駄目。」と口酸っぱく言われていました。そのため、お地蔵さんの古い祠の前に行くと足がすくんで歩けなかったことや、大きな球形の「ガスタンク」の姿、貫井中学校の教員として勤務していた父親に、プールに連れて行ってもらい、真夏の太陽の下を歩き、貫井中学校の近くまで来た時、周辺に漂っていた福神漬けの臭い等、けして楽しいとは思えない記憶が、五十数年間経った今でも残っています。
 その後、私は小学校入学前に都下の東大和市に転居し、練馬区から遠く離れた土地で過ごしてきました。中学校の教員となっても勤務校が多摩地域であったため、練馬区の中学校には接点が無かったのですが、副校長として本校に勤務するようになり、地域の方々に幼児期の断片的な記憶を話す度に、練馬区と私の深い縁を感じるようになりました。
 そして、谷原中学校への出張帰り、昔の家を探そうと考え、約五十年ぶりにガスタンクを目標に、総合体育館周辺を歩き「谷原延命地蔵」の祠を発見した時、大声で叫びたいほどの感動を覚えました。この時、私と練馬区のつながりの意味が理解できた気がします。家はすでに無く周囲の風景も全て替わってしまいましたが、お地蔵さんは、私の記憶の中と同様に谷原に静かに佇んでいたのです。

 昭和35年東京都板橋区生まれ 調布市在住


光が丘新聞         2018/9/5

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