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【No.779号】 【発行日】2018/9/5 [2-2]
 これからの光が丘を探る Pert2 日本漫画家協会会員 絵守 すみよし
●住民の心意気で 明るい光が丘に
光が丘新聞創刊35周年「特別寄稿」

【 記事 】

 私が上京して来た昭和40年代初頭、練馬区の地図を見ると現在の光が丘地区に当たる部分は、ポッカリと空白地帯となっていて、ここは何だろうかと思っていた。
 それから十数年後、縁あって光が丘地区に移住して来て始めてここが、日本に返還されるまで米軍が駐留していた「グラントハイツ」であり、戦前は陸軍の「成増飛行場」の有った場所であると知った。
 この広大な土地に、始めから電線の地中化(無電柱)など計画的に造られた21世紀の街、緑豊かな光が丘団地が建設されて行ったのだが、私が移住して来た当初は、まだ住宅地は一丁目の「むつみ台団地」だけであった。
 しかし光が丘の中心には、真っ先に建てられた「光が丘清掃工場」と、その光が丘のシンボルとも言える巨大な煙突がそびえ立っていた。(現在、清掃工場は立て替え中で、巨大な煙突も取り壊されている)
 この様に後からの建設では、住民の反対運動が起こりかねない施設も計画的に造られ、そして次々と住宅が建設されて行くのだが、私は正規の道を通らず、至る所フェンスに囲まれていた光が丘地区の、金網の破れていた大穴から出入りして、次第に整備されて行く、日比谷公園の4倍の広さを持つという光が丘公園や、建設の進む住宅群、小中学校、大型商業施設など、日々変貌を遂げて行く光が丘を見届けて来た。
 具体的には昭和58年(1983)から順次、光が丘団地への入居が始まり、その後、陸の孤島と言われだした光が丘に、待望の都営地下鉄12号線(現・大江戸線)が開通し、光が丘団地は25階建、30階建の高層住宅の建設をもって終了、人口増加の頂点を迎えた。
 そして平成の御代も終わろうとしている現在、先行して建設された近隣の、マンモス団地が抱えている少子高齢化という一番の問題が、ここ光が丘地区でも進んでいる。
 当然のことながら、団地に若い夫婦と共に移り住んで来た子供や、団地で生れ育った子供達が次々に成人に達して、独立して光が丘を出て行き、急速に人口の減少、親世代の高齢化が進みつつあります。
 実際、一時期より子供達の姿を見かけなくなったし、光が丘に8つも有った小学校も約半分に統廃合され、僅かに「光が丘第八小学校」が、その名に名残りをとどめている。
 このまま元気のない光が丘に衰退して行ってしまうのか否か。これからの光が丘を良くするも悪くするも偏に我ら住人、ひとりひとりの心意気にかかっていると思います。
 幸いにして光が丘には緑豊かな大小様々な公園や、魅力的な所が沢山有り、各団地の夏祭りも盛んです。一日中、テレビを付けっぱなしでいる貴方、時には元気に出かけてみませんか。どーれ私も徘徊と思われぬ様に元気に、光が丘探索に出かけるとするか。 


光が丘新聞         2018/9/5

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