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【No.779号】 【発行日】2018/9/5 [2-1]
 これからの光が丘を探る Pert2 光が丘地区連合協議会 会長 高橋 司郎
●光が丘の街創りを探る
光が丘新聞創刊35周年「特別寄稿」

【 記事 】

 1943(昭和18)年6月、太平洋戦争真っ直中、首都防衛のため、現光が丘と近隣地80数名の地主さんたちの犠牲により誕生した成増飛行場。終戦。そして米軍将校の住宅地グラントハイツになり1971(昭和46)年8月、日米合同委員会で返還、後、「光が丘」に。併し、作今、再び大きく変わろうとしています。光が丘五丁目にあった「温室」は、バラ園に、九つあった小学校は、五校に、そして清掃工場は、建て替え工事の真っ最中、病院も2021年をメドに移転新築が決定しています。
 人口減少時代の到来、ここはピーク時の人口約3万4000に対し現在約2万9000とピーク時の85%です(世帯数は若干増加しております)、子どもたちが成長し親元を離れ転出したからです。就職や結婚等で離れた子供たちが、出生地に戻らないなどで10年前に小学校の統・廃合を招きました。
 住宅の絶対数が不足していた時代、その解決策の一つとして誕生した当時の住宅公団(現UR都市機構)が全国各地で誕生させたのが「団地」方式ですが今やその役目を終え抜本的改革が必要な時が到来しました。光が丘も例外ではありません。練馬区の人口はここ10年で13万人も増えましたが光が丘では、5000人も減少したこと、ここに解決のヒントがあるのではないでしょうか。
 価値観の多様化によって、「団地」という集合住宅の形態を好まなくなった人々が増えたこと、一方で同じ集合住宅でも「マンション」はそれなりに「完売」が続いている、「団地」と「マンション」の違い、ここにもヒントがあります。
 売れている「マンション」は、立地の良さは当然として設計にそれなりの知恵・工夫がされ時代にマッチしているのが特徴。同じ建物の中に「若者向き」「高齢者向き」それぞれ工夫された設計空間、画一された従来の団地とは大きく違います。
 光が丘の再生を考える時、賃貸住宅の室内は、入居時一部改築されておりますが、分譲住宅では居住されて今後、10年・20年後の建て替え問題を考えておられる方は、ほんの一握りの状態です。再建の費用負担問題に加え、居住者の同意を得ることも大変。一団地認定による建築基準法86条問題もあり、既に行動を起こし分譲から賃貸へ居住方法を変えた方もおられます。
 解決策は、分譲住宅にお住いの方々が、ブロックを結成し将来像を語り合うことからでしょう。従来型の団地イメージから脱却し「新しいまち光が丘」の「街創り」です。ITの更なる進化、高齢者の急増と就労人口の減少等々の中で、今行動を起こさなければ近未来、間違いなく「21世紀のモデル都市」から離れた道を歩むことになるやも知れません。


光が丘新聞         2018/9/5

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