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【No.775号】 【発行日】2018/5/5 [8-1]
 つれ連れ草 -627- 田柄小学校副校長 武井 和幸
●野球に夢中になっていた頃

【 記事 】

 学校の休み時間に子供たちの様子を見ていると、時々自分の子供の時のことを思い出します。毎日遊んでばかりいた思い出ですが、それが大切な思い出なのだなと、今感じています。めんこやこまなどで異学年の友達とよく遊んでいた子供でした。その中で、小学生で野球と出会って、野球に夢中になっていた頃の話を書かせていただきます。
 私が小学校2年生時に父親に連れて行ってもらった後楽園(現在の東京ドーム)で見た巨人戦が私と野球との出会いでした。その後、父親にグローブを買ってもらい、それを大事に枕元に置いていたことを思い出します。小学校4年生から、町会の野球チームに入りました。その頃は、男子のほとんどが野球チームに入っていて、同じ学校の中に町会ごとにチームが3チームもあるほど盛んでした。チームの人数も多くて、1軍と2軍があって、私は5年生まで2軍でした。6年生になったときに、なんと私はキャプテンになりました。実は最初は、副キャプテンでしたが、キャプテンが引っ越しをしてしまったため、繰り上げキャプテンでした。土曜日は学校があったので、練習は日曜日でした。毎週練習があったと記憶しています。また毎朝、近所のお寺でラジオ体操があったので、ラジオ体操が終わるとみんなでマラソンをしていました。それ以外も、公園に集まって野球をして遊んでいました。私の一つ上の学年のチームが板橋区で第3位、一つ下の学年が板橋区で優勝という輝かしい成績でしたが、私たちの学年は板橋区の大会に出場する前の予選で負けてしまいました。成績は芳しくなかったのですが、とにかく野球ばかりやっていた子供の頃でした。もちろんその頃の夢はプロ野球の選手でした。
 その後、中学校・高校と野球部に入りました。高校では、都立高校でしたが、その当時結構強くて部員が60名以上いました。レギュラーになるために毎日野球のことばかり考えて生活していました。毎日の練習以外にも、登下校も野球部の友達と毎日5kmの道のりを走って通い、足腰を鍛えたり、家で素振りをしたりして野球ばかりしていました。結局レギュラーにはなれませんでしたが、一生懸命やったことは今の自分の基礎になっていると思っています。高校まで野球ばかりやっていたため、勉強の努力が足りなくなり大学に入るために浪人してしまいましたが…。今となってはどれもよい思い出です。今の子供たちも夢中になることを見つけて、それに取り組んでもらいたいと願っています。

 昭和40年東京都生まれ 埼玉県新座市在住


光が丘新聞         2018/5/5

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