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【No.766号】 【発行日】2017/8/5 [8-2]
 つれ連れ草 -619- 田柄中学校副校長 三澤 昇
●初夏の回想

【 記事 】

 私は、平成元年、神津中学校から練馬中学校に着任しました。茨城の田舎村出身で初任の学校が島ということで光が丘の高層建築物群を見上げ、大都会練馬?を痛感したのを昨日のように思い出します。一方で当時はまだ環八も、大江戸線も開通しておらず、学校の近隣には畑が多くありその畑の中には謎のコンクリート製の円があって、あれはいったい何だ?と気になっていたことを覚えています。後にそれは太平洋戦争時の高射砲台跡と分かり、歴史を感じました。
 着任当初の練馬中はやんちゃな生徒もいましたが、同僚に若い先生が多く、楽しい毎日を過ごさせてもらいました。その後練馬中を去ることになり、練馬区外の学校へ転勤しました。練馬区を去って3年後。ふたたび練馬区内(八坂中学校)へ戻ることになりました。練馬区を出るとき、まさかまた練馬区へ戻ってくるとは想像もしていませんでした。そして現在までずっと練馬区の中学校に勤務しております。年に1回、練馬中時代の同僚達と会う機会があるのですが、いつも、何でそんなに長く練馬区にいるんだとやじられます。
 現在は、田柄中学校で副校長として勤務しています。練馬中時代には家庭訪問で田柄中の近くまで来たのを覚えています。当時と街並みは変わりましたが、面影はあちこちに残っており、懐かしく思います。田柄中では毎年5月末に運動会が行われます。昨年の運動会のことです。その日は好天に恵まれ、絶好の運動会日和でした。午後の部も始まり、校庭を巡回しているとき突然「先生!」と私を呼び止めるご婦人の声。小さな子どもを連れたその声の主はなんと練馬中時代の教え子でした。田柄中の近所に住んでいるとのこと。中学生の子供はいないが、本紙の教職員の異動の記事を見て私の名前を見つけ来校したらしい。恐るべし光が丘新聞!(失礼)。その後もう一人のご婦人にも声をかけられ、八月に練馬中同窓会をやるので是非出席をとのこと。まさか田柄中で二十数年前の忘れかけた記憶を呼び起こされるとは思ってもいませんでした。
 昨年の運動会後、諸事情から、数年ぶりに数学の授業を短期間受け持つことになりました。そのときの生徒の顔が、練馬中時代の生徒の顔とダブって見えたのは言うまでもありません。

 昭和36年神奈川県生まれ 練馬区在住


光が丘新聞         2017/8/5

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