リストページへ戻る

【No.611号】 【発行日】2010/6/20 [8-2]

 つれづれ草 -466- 光が丘夏の雲小学校校長 鈴木 久



●腕時計



【記事】
 一年ほど前の話です。永年使っていた腕時計の針が動かなくなりました。勿論、電池切れではありません。考えてみれば、もう三十年近く使ってきたものですから、寿命なのでしょう。新しい腕時計を買えばよいのですが、切迫した必要性もあまり感じず、そのままにしておきました。
 そのような訳で、腕時計なしの生活が始まったのですが、それで困ることはありませんでした。学校をはじめ殆どの公共施設では要所要所に時計が掛けられ、或いは時刻を知らせる設備があります。そして、身の回りの多くの電気製品に、中にはなぜこの製品に時刻を知らせる機能が必要なのかと首を傾げたくなるものまで時計がついています。とりわけ、今やどこに行くにも必ず持って行く携帯電話には、きちんんと時刻を表す機能がついていますから、それを見ればすむことです。時刻を知らせる機能だけの製品ではもう通用しない時代なのかも知れません。また、別の見方をすれば、総てのものが時刻を基軸として分・秒単位で組立てられたプログラムの中で動いているのが現代だとも言えます。
 学校の一日もまた時間で区切られていて、チャイムの合図で全校一斉に学習活動に入ったり、休み時間になったり、給食や掃除が始まったりします。そして、こらが数分ずれただけで、学校の随所に大変な混乱が起きてしまいます。当たり前の光景ですが、少々不思議な気もします。
 日本では百数十年前の江戸時代には、時間は均等ではありませんでした。当時は日の出から日没までの時間を六に区切り、日の出の明け六つから始まり、五つ、四つと進んで、正午が九つ、八つ、七つ、そして日没の暮れ六つとなります。ですから一時(とき)が今の凡そ二時間分になるのですが、当然、同じ一時(とき)でも季節によって違いがでてしまいます。殊に夏至と冬至では、相当差がありますが、昔の日本人は余り頓着しなかったようです。些細なことに拘らずに悠然と生きている姿が羨ましくもあります。
 実は、腕時計なしの生活を送っている真意は、そこら辺にありそうです。時間に束縛されることなく、悠々自適に暮らしたいという願望が根底にありそうです。

 昭和24年東京都生まれ 関町南在住

光が丘新聞         2010/6/20

リストページへ戻る