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【No.609号】 【発行日】2010/5/20 [8-2]

 つれづれ草 -464- 光が丘四季の香小学校校長 細谷 勝



●運動会



【記事】
「血が沸き、心が躍る」と前方の陣形を見ながら友人が言う。普段は、無口で声をかけても「あ」とか「う」としか返事が帰ってこない。日常の事には余り興味がないのか、何を考えているのか分からない。その彼が陣の先頭になって興奮気味に体を動かしている。上半身は裸、下はトレパン。多くが相撲取りの力士がするように、顔や体をこぶしで、今から衝撃にたえるよう、痛みに鈍感になるようぱちぱちと叩く。その音が校庭全体に鳴り響く。男子校、特有な体育祭、棒倒しの競技である。
 担当の体育教師が、ここには医者と看護婦が控えていらっしゃる。怪我をしても手当をするから安心してくれ。存分に戦え。諸君らの雄々しい姿をみせろ、と私たちに檄を飛ばす。誰かが「お前もやれ」「一回殴らせろ」と明るいヤジが飛ぶ。「私は、もう老いている。若者ではない」とうそぶく。「まだまだできる、いつもの元気は偽物か」と声がかかる。「大きな笑い声がどっとする。「それでは、始める。諸君の健闘を祈る」一瞬の静寂、ピストルの合図を待つ。様々なことが錯綜するこの緊張感が何とも言えない祝福の時である。
 我が高校には、商業科も併設されており、就職が内定している三年生にとっては、最後の学生生活の楽しみの一つだ。問題を起したら、取り消される。普通科は大学受験という重しがある。しかし、この競技では許される。人には殴る、殴られるという行為は野蛮かもしれないが、あの十代後半の男には、どうにもならないいらだちや自己嫌悪、葛藤、未来に対する不安感など鬱積したものがある。それが、一気に開放される。体と体のぶつかり合い、相手を倒す、倒される。棒が倒れるまで続く。気の弱いものは棒を抱えて亀のようにじっと辛抱する。蹴られても踏んづけられてもただただ耐える。守るのも攻めるのもどちらにも痛みが伴う。全校五百ぐらいの生徒がもみ合う。勝敗など記憶にはないが、終わった後のあのすがすがしさ。競技後の禍根など残らず、また通常とかわらぬ高校生活が始まる。私の運動会(体育祭)での懐かしい思い出である。

 昭和25年埼玉県生まれ 東久留米市在住

光が丘新聞         2010/5/20

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