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【No.588号】 【発行日】2009/7/5 [8-1]

 つれづれ草 -444- 光が丘第一中学校校長 境田 聡



●ふるさとの山



【記事】
ここ2?3年、母親の入退院等で実家に帰ることが多くなりました。こころ弾む帰省ではありませんが、やはりふるさとに帰ると言うことはこころが和むものです。私のふるさとは、東北の福島県です。福島県の中通りという地域です。夏は比較的暑く(東京ほどではありませんが)、冬は雪こそ少ないですがとても寒い地域です。
 以前は、かつての友人たちに会うことが楽しみでふるさとに帰っていました。子どもが生まれると、子どもの成長を親に見せるためにふるさとに帰っていました。最近は、親の見舞いのために帰ることが増えました。ふるさとを離れ、40年近く経ちました。
 先日、母親の見舞いのために帰省しました。今は新幹線が走り、1時間足らずで帰ることができます。そのような新幹線の車窓から、なつかしい山影が見えました。かつて、夏の暑い昼下がり川で泳いでいる時も、稲刈りを終えた田んぼで遊んでいる時にも、いつも見る風景の中にあった山です。その山が視野に入ったとたん、たくさんの時間が経ったのだとの思いと全身から力が抜けるのを感じました。新幹線の車窓に流れる風景と近づいてくるふるさとの山は、私を数十年前に押し流そうとしているようです。このような気持ちになったのは、初めてでした。年齢のせいでしょうか。
 ふるさととはどんな存在なのでしょうか。親兄弟、友人、家、町、山、川、私にとってどれもふるさとのように思います。「ふるさとは遠きにありて思うもの そしてかなしくうたもの…」(室生犀星)という詩を中学生の時に習いました。その時は、ふるさとという言葉にピンときませんでした。ふるさとは、離れてみて初めてそのありがたみが分かるという人もいます。私もその一人だと思いました。
 いくらかでも母親の笑う顔が見たくて、あと何回ぐらい話ができるだろうかと思いながら、またこの週末も、ふるさとの山を見に行こうと思います。ふるさとの山は、私の心を以前の自分に戻してくれ、また生まれ変わらせてくれているようです。

 昭和29年 福島県生まれ 和光市在住

光が丘新聞         2009/7/5

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