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【No.586号】 【発行日】2009/6/5 [8-1]

 つれづれ草 -442- 田柄中学校校長 田川敏之



●「品」



【記事】
電車に乗っていた時のことである。出発間際に、二十歳前半の若い女性が駆け込んできて、私の前の席に座った。今の若い女性には珍しく化粧気が無く、清楚な印象を受けた。たまたま、その子の隣には、同じくらいの年の女性が座っていて、派手な化粧をしていたのでよけいそう感じたのかもしれない。ところが、その清楚な女性は、席に着いたとたんに、バックを広げ化粧を始めた。それほど混んでいる電車では無かったが、他の乗客など全く気にすることなく、堂々と化粧を始めたのである。様々な道具を駆使しながら、瞬く間に黒く彩られた目が出現した。その技術に感心するとともに、こうした行為を目にするたびに人としての品について考えさせられるのである。そもそも、電車の中で平気で化粧できる人には、品ということさえ考えもしないのであろうが。それは、若い人に限ったことでなく、私と同じ年代の人にも感じることである。また、最近読んだ本に、ノーブレス オブリージュ(no-blesse o-blige)。ということが書かれていた。日本語では「貴族の義務」、「高貴な義務」と訳され、財産を持つ人・権力を持つ人・社会的地位にある人には、社会の模範となるよう振舞うべき社会的責任があるということである。つまり、その人たちの振る舞いが、その国の国民の模範となり、国全体としての品位や道徳感などが保たれるのである。と考えると日本人の品性が低下しているのは、今の日本の社会的地位にある人の振る舞いの結果となる。とは言っても下品な国になっては欲しくないし、日本人としての品は保って欲しい。そもそも、日本における品は、ノーブレス オブリージュとして品が保たれていたのでなく、「武士は食わねど高楊枝」に表現された精神が武士のみならず国民の根底に浸透していたと思うのである。改めて「品」の意味を調べてみると、「洗練された趣味に支えられ、ぜい沢ではあるが華美でない完璧な美しさ」「堂々としていて、敬意を払わずにいられない気品など」と説明されていた。いくら高価なブランド品に身を包み、化粧で自分を飾っても中身が伴わなければ美しくはないのである。と言う私自身品があるかと言われると自信はないし、子どもたちの見本となれる自信もない。しかし、子どもたちに品を意識させ品ある人になるよう訴えていくことはできる。改めて、田柄中学校としての「品」を大切にし、学校に来た人々に「品」を感じさせる学校作りを決意するのである。

 昭和30年 北海道生まれ 目黒区在住

光が丘新聞         2009/6/5

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