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【No.585号】 【発行日】2009/5/20 [8-1]

 つれづれ草 -441- 豊渓中学校長  西 正弘



●小学校五年生の時に、こんな詩を書いた。


「詩」  詩はどこにでも落ちている  だのに人間は  拾わない人もいれば  知らん顔している人もいる  詩を拾わない人は  あこがれのない人だと  僕は思った



【記事】
恥を承知で紹介したのは、当時の担任の先生が、褒めて下さり、何かに取り上げてくれたらしく、小冊子を私に見せてくれた。そのことが嬉しくて記憶に残っているからである。美術が専門の担任の先生は、おそらく絵を描く対象は、身近にある、どこにでもあるというような話をされたのだろう。それを聞いた私は、「詩」も「絵」と同じではないかと感じてこういう詩を書いたのではないかと想像する。
 その後、詩を読んだり書いたりということは、高校を卒業して、地方(三重県尾鷲市)から東京に出てきて一人暮らしが始まってからだと記憶する。その当時は悶々とした日々があり、不安定な自分と向き合い、自分を叱咤激励する必要があったから詩を書いたのではないかと今にして思う。
 教師になって、友人の教師から茨木のり子の「自分の感受性くらい」、吉野弘の「I was bom.」や「生命は」を教わった。また、谷川俊太郎「二十億光年の孤独」に再度感動し、生徒に配布する英語通信に載せたりした。茨木のり子の「自分の感受性くらい」は、その後、テレビドラマ「金八先生」でも取上げられたことを生徒から聞いた。
 その通信をご覧になった八木澤校長先生が「茨木のり子さんはこの近くに住んでいるよ」と教えてくれた。詩人黒田三郎のことをよく知ってる八木澤先生は、詩人である、詩集を出されていることはあとになって知った。八木澤先生の詩や先生のお仲間の詩を拝見、拝読すると感受性のレベルが私とは格段に違うと感じる。レベルが違うというより「次元が違う」と言った方がいいのかもしれない。

光が丘新聞         2009/5/20

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